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理事長所信

自分はどこの何者なのか。一度きりしかない「人生」という物語の中で自分に与えられた役は何なのだろう。誰にも予想がつかないこの物語をどのように描くのかは他ならぬ自分自身だ。古来より自分の物語を作ることの大切さを説いてきた民族・部族は数多い。ネイティブアメリカン、アボリジニ、ヨーロッパ諸国の騎士道精神にも共通した部分であり、私の生まれ育った地でも祖父母や両親より教わってきた。

青年期。このかけがえの無い期間を存分に活かしこのまちの未来へ続く物語を描きそして、その完成を見る事がなくとも次世代に語り継いでいけるようにしよう。

 

はじめに

船橋青年会議所理事長
2013年度理事長
小山 良磨

人の誕生、出会いはまさに奇跡の連続であると言える。「一期一会」という言葉に表されるように、人との出会いには敬意を払い、ともに人生という物語を作っていく共演者としてお互いの育ってきた環境や考え方を理解し合うことが大切である。

私は今日までこの船橋というゆりかごの中で育てられてきた。北部には農業地域とアンデルセン公園をはじめとした文化施設を有し、南には東京湾沿岸の港と東京への発信基地となる都市機能を備え、東西には良い環境の住宅地域を数多く有するそんな多様な面を持った素晴らしいまちである。
そのようなまちで育てられた私の中には2つの精神が宿っている。明治維新後、下総の地ではじまった開墾に真正面から逃げること無く取り組んだその開拓精神ともう一つはあらゆる文化・技術を融合して独自の文化とし時代を築き上げた旧琉球の迎恩の精神である。私はこの精神性を教えてもらった両親や祖父母の元に生まれたことに感謝をしているし、誇りを持っている。

「残念なことに世の中はお前がいなくてはだめだと言うことは一つもない。もしお前がやらなければ必ず誰かが代わりにその仕事をやりにくるようになっているのだ。では、お前はどうする」

「生きていくということは大変なこと。ただ、どんなに辛くても憎しみからは何も始まらない」

 戦後の荒廃から日本のため、生まれ育った故郷を、愛する者を守るため。次代に続く者たちのためにという想いのもと青年会議所運動の燈が灯った。そして1970年、船橋がより良いまちになるようにと船橋青年会議所の運動が始まり43年の月日が流れた、時代の環境は変わり、運動の形を変えつつも諸先輩から受け継いできた精神は揺るぎなきものでありあらゆる価値を生み出してきたのはいつの世も青年である。

さあ、一人一人の英知と勇気と情熱を結集し、恐れる事無く未開の時代(ち)を開拓し、次の世代へと物語を語りついでいこう。


人をつくるのは人

まちづくり、国づくり、企業づくりの根幹は「ひとづくり」にある。本格的な少子高齢化を迎えようとしている日本。わがまち船橋においては人口増に伴い子どもの数も緩やかではあるが増加傾向にありそんなことは嘘のようだ。しかし実際には合計特殊出生率の低下は続いている。人口の減少は国の担い手である生産年齢人口の低下であり国力の衰退を意味する。それはGDPの減少をはじめとする経済の問題だけでなく、既存の社会保障制度を根底から揺るがすことになる。

さらに国内の問題だけでなくグローバルな競争が加速している現代、ますます市場原理主義や成果主義が跋扈するのではと危惧されている。歴史を振り返ってみると特定の自然資源を持たない我が国にとって、「ひと」はかけがえのない財産であり「和魂洋才」を旨として明治以降近代化を遂げてきた。その一方で経済合理主義を中心に進んできた結果、日本人としてのアイデンティティや本来持っていた日本人としての誇りや魂、思いやりの心や恥の文化を失いつつある。

世界はより近く、小さくなりつつあるがその中で失ってはならぬものはその民族が培ってきた精神である。そして私たち日本人は世界が感嘆した類希な美しい精神性を持った民族なのである。例えば昔の近江商人の経営理念は「売り手善し 買い手善し 世間善し」の三方善しと呼ばれるものである。これは現代のCSR(企業の社会的責任)に通じるところであり、営利活動を否定せず、ビジネスの持続的発展の観点から本業の社会的責任を説いたものである。売り手と買い手の当事者だけでなくその取引が社会全体の幸福につながるものでなければならないという日本を代表する企業の経営理念に影響を与えている。そしてこれからの時代にはそのような精神のもと日本や各地域が誇る既存の技術や文化に新たな素晴らしい感性価値を付加し持続可能な開発を見いだしていける青年の育成であると考える。前述した日本人としての精神性と国際競争力を持った、まさに和魂洋才を兼ね備えた人材である。

われわれJayceeは地域のリーダーとして自身とともにその地域経済を支える人材を磨き続けなければならない。人づくりは何よりも時間のかかることである。しかしこれからの時代を見据え人づくりに取り組んでいく事を諦めてはならない。人づくりを諦める事は私たちの未来を放棄するという事と同じ事なのだから。


次世代に伝えて行きたい物語 ~こどもたちへの願い、こどもたちへの約束~

子どもたちは船橋の何にも勝るたからである。そしてこの国のたからであり、世界のたからである。これからの地域の担い手としてまた世界に誇る人材を輩出する上で学校だけでなく、家庭や地域社会で支えて行く青少年育成が必要である。このまちを我が家のごとく愛し、隣人や友人とは家族のような良好な関係を築き、青少年が率先して地域活性化を図れる社会を目指す事が重要である。

いつの時代にも子どもたちを育てる生活環境は優先事項として整備されてきた。現代の日本、この船橋の生活環境も今、最高と言えるのではないだろうか。しかしながらその一方で便利すぎる時代であるが故の多くの問題も生みだしている。世界でも類を見ないほどのコンビニエンスストア、自動販売機がまちにあふれ家庭で食事をとらずとも食事ができる環境が生みだした弊害、子どもたちの食環境だけでなく家庭の食事そのものが崩壊寸前にある。携帯電話・インターネットの普及によるコミュニケーション能力の低下、親の就労本位での子育て環境の陰にある虐待数の増加など、便利すぎる社会であるが故の己の甘えが青少年の育成に影響している。

このような時代においてこどもたちにとって全ての経験が成長に繋がるのであれば、時に厳しく、時に不便な環境での生活環境が必要でありその経験による自立と共助の精神を育み、現代の自分を取り巻く生活環境の恩恵に感謝する気持ちを醸成して行く事が必要ではないだろうか。人は歳を重ねていくたびに徐々に親の手を離れいつかは自分の足で歩いて行かなければならない。そしてこれからの子どもたちはより一層世界を相手にした活動をして行かなければならない時代に入る。そのときに強い精神に裏打ちされた「生き抜く力」と他者を慮る「生かされている事への感謝」を持っている大人が一人でも多くこのまちに存在するのであればこの船橋の明るいまちになりまた次の世代へもその精神性を繋げられると考える。

こどもたちは今の私たちを映した鏡であり、そして未来へと続く希望の光である。

「銀も 金も玉も何せむに 勝れる宝 子にしかめやも」  山上憶良


愛すべきまち 船橋~このまちの未来へ続く物語を描く 千葉が誇る船橋から世界が羨む船橋へ ~

経済の先行きが不透明な中、元気が無いと言われる日本ではあるが、わがまちに船橋においてはいくつもの住宅街が整備されている。中には1500世帯を超えるまちの整備もされており、住宅だけでなくこれからのまちづくりを考えていく中でわがまち船橋はますます元気なまちになっていく要素が多い。しかしながらその元気をインフラ整備だけでは本当のまちづくりとは言えない。よく船橋は「東京のベッドタウン」「何も無いが何でもある街」などと表現されるが、まだ見いだせていない船橋特有の強みが必ずある。観光資源や食文化、伝統工芸品など特有の豊富なソフトパワーを活用する事で次のまちづくりのステップにしていきたい。そのためにもそこに住み行く私たち一人一人が船橋の歴史と文化を学び、まちへの興味関心を寄せる事でそれぞれの地域にある「たから」を見いだしそしてそれを未来に繋げていくための努力をしていかなければならない。そして産・学・官の連携により「船橋のたから」を「世界のたから」になるようにし、千葉が誇る船橋から世界が羨む船橋へと進化していける機会を作って行きたい。

また少子高齢化の中でその中で改めて次代の持続可能なまちづくりを考える時期になっている。それには県内外他都市の優れたところだけでなく他国から学ぶべき事も多い。それはまちのシステムと言う事だけでなくそのまちの背景にある国民性や価値観を学ぶ必要がある。次世代のまちづくりには物質的な豊かさではなく心の豊かさが一つのキーポイントになって行く。そこに住み暮らす人々の価値観に学び船橋からはじめる新しいまちの形と幸せの指標を見いだしていきたい。そのためには青年会議所社会開発運動の原点である調査・研究が必要である。特に流入人口が多いわがまちでは、その地域や世代、居住年数などにより意識が違うところであると考える。新時代の船橋を創造する上でそこに住む人々の意識や考え方は非常に重要な要素であり、「自分たちのまちは自分たちでつくる」という郷土愛醸成の一助にしていきたい。


青年たちの物語~発信無くして運動無し 社会の信頼に応えられる組織へ~

われわれJCはよく広報が苦手だと言われる。それには市民がわくわくするような運動が行われていないことが要因であることと発信が真に市民意識の改革を目的として行われていないからではないだろうか。60数年培ってきた青年会議所運動の素晴らしさに甘え、胡座をかき、傲慢な態度のもと「おれたちはJCだ」と大股で闊歩する裸の王様に陥ってはいないだろうか。

公益社団法人格取得を目前に迫った今、私たち青年会議所会員一人一人が改めてその存在価値を認識し社会の信頼に応えうる団体として運動を展開していこう。

私たち青年会議所は恒久的な世界平和の実現を最終目標に地域に根ざした明るい豊かなまちづくりを目指して変化の創造を行う団体である。つまり青年会議所とは「まちづくり」団体である以前に「意識変革」をおこす団体である。これからの青年会議所運動を各メディア、あらゆる情報ツールを駆使し市民意識の醸成を行っていきたい。そして我々の運動をともに展開し、伝播していく素晴らしい仲間を常に純増していく必要がある。まだまだ船橋には素晴らしい能力を秘めた青年が数多くいる。この課題には会の存続をかけ全正会員のネットワークを駆使し総力を挙げて取り組んでいきたい。


むすびに~未来は私たちに委ねられている~

大航海時代、ヨーロッパ諸国においてはまだ未開の地であった極東アジア地域において我が国はジパングと称され、そしてアジア貿易に関して限りない可能性を与えた。元寇の襲来、明治維新、敗戦からの復興、そして昨年発生した東日本大震災からも日本は必ず立ち上がると世界が信じてやまない。今なお世界が日本のチカラを求めている事は明らかであり、その始まりをわがまち船橋から起こしていくことができると信じている。

いつの時代も世界を変えてきた「事の始まりは」一人の何気ない思いつきや、単純な考え、突拍子もない夢から始まっている。市民一人一人が「自分たちのまちは自分たちでつくる」といった精神を持ち「生きる力」と「生かされているという感謝の気持ち」が漲る明るい豊かな社会の実現に向けた確かな一歩を踏み出して行こう。

たとえ日本中が諦めたとしても、JCだけは諦めない。

「JCしかない時代」から「JCもある時代」と揶揄される時があるが、「やはりJCしかない」という期待に応えられる歩みを進めて行こう。私たち青年には限りない可能性がある。その無限の可能性を引き出し、活用する事は私たち青年に与えられた権利であり、義務である。

未来のことは誰にもわからないが未来が誰に委ねられているのかはわかる。(EAK)

そう未来は私たち青年の手に委ねられているのだから。